凡才ですから

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NARUTOの作者から学ぶ戦略的訓練の重要性

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2000年代の週刊少年ジャンプを支えた名作ニンジャ漫画「NARUTO」の完結から2年が過ぎた。

外伝の短期集中連載を挟んで現在はナルトの子供世代の物語「BORUTO」が月1で連載されており、そのアニメ化が始まる。

今日はそんな「NARUTO」の作者である岸本斉史氏が単行本の中でひっそりと語っていた戦略的訓練について光を当てようと思う。

 

 

 

 

才能が全方位をカバーしていることは少ない

 

岸本斉史氏の絵の才能は早くから開花した。

 

「機動戦士ガンダム」のメカや「Dr.スランプ」のデフォルメされたキャラを特に好んで小学生の頃から飽きるほど描いていたという。

 

中学生になった後は野球部に入り、しばらく絵にのめり込むということからは遠ざかった。

 

しかし映画版「AKIRA」のポスターと出会ったことで衝撃を受け、再び絵を描くことにのめり込んでいく。

 

大学は絵が上手くなりたい一心で美術系に進学。

4年生に進級したころジャンプの新人賞で佳作を取り、その数年後に読み切りを経て人気作「NARUTO」の連載をスタートさせた。

 

岸本斉史氏の画力は同業の漫画家である「Hunter×Hunter」の冨樫義博氏や「DeathNote」の小畑健氏、「アイシールド21」の稲垣理一郎氏にも高く評価されている

 

さらに「NARUTO」は第一部のクライマックスであるナルトVSサスケを始めとしてアニメでアクションのクオリティが異常に高い回がしばしば存在する。

 

これは忍者ものというアクションシーンがやりやすい題材という前提以上に岸本斉史氏の秀逸なキャラクターデザインとネーム・コマ割り力が優れていることが深く関係しているはずだ。

 

今でこそ画力が高く評価される一方で、彼が新人賞で初めて評価されるのはけっして早くはなかった。

 

これはもし漫画力が大きく「画力」と「話の面白さ」で分けられるとするならば、後者が不足していたからだと思われる。

 

紛れもなく漫画家としての才能を持ち合わせている岸本斉史氏であったが、その才能があらゆる面において優れているというわけではない。

 

メジャーリーグでも結果を残したイチローがパワーヒッターやピッチャーにならなかったのと同様に、むしろ才能が全方位をカバーしているということの方が少ないだろう。

 

強みを伸ばせという言葉はよく聞くが、漫画家には「画力」だけでなく「話の面白さ」も欠かせないのは事実だ。

 

いや、漫画に限らず「苦手だけど必要なこと」というのは数多く存在する。

 

では岸本斉史氏はどうやって自分に足りない力を身に着けたのか。

それは漫画以外にも応用できるのではないか?

彼の「話の面白さ」を身につけた方法は単行本「NARUTO」のコラムの中に隠されていた。

 

 

集中した戦略的訓練の重要性

「NARUTO」の単行本10巻から19巻において(下忍試験の後半、個人戦から木ノ葉崩しの後くらいまで)岸本斉史氏の生い立ちやデビューまでの話が各話の間にコラムとしてひっそりと書かれている。

 

特に面白いのが19巻で語られる、ジャンプで新人賞を取ってからデビューするまでの間の話だ。

 

担当の編集者がつき、手を変え品を変え話を作るが一向に良いものが出来ない。

 

大学4年で周りの友人が就職を決めて将来の道を選んでいく中で取り残されていく感覚。

 

今のままでは駄目だと気付いた岸本斉史氏。

 

プロになるためには何が必要なのか?

 

そう考えてから彼は様々な話作りや演出について書かれた本を読んで勉強した。

そしてそれを元に実際に映画を見て勉強したことを当てはめて確認し、ノートに書き溜める日々。

 

話によると大学卒業から2年間は図書館、本屋、ビデオ店を巡る毎日だったという。

 

しかし努力の甲斐もあって岸本斉史氏の「話の面白さ」は大きな進歩を見せる。

訓練後にそのノートを元に野球の漫画を描き、連載を決める会議ではその作品は惜しくもボツになってしまったが、このとき担当に初めて作品をちゃんと褒めてもらったという。

 

そしてその4ヶ月後、全巻の累計が1億冊を超える名作「NARUTO」のネームが出来上がったのである。

 

この話から僕達が学べることは大きく2つある。

 

1つ目は成功するために必要なのは何か、あるいは自分がうまくいかない原因は何かという本質を理解するということの必要性。

 

2つ目はその不足した部分に対し、正しい努力をきちんと積み上げることの大切さだ。

 

これを例えば受験勉強に置き換えるのであれば、学校の授業は非常に無駄が多い。

場合によっては必要な科目が足りなかったり、不必要な科目に時間を取られるといった「内容以前」の問題すらある。

 

しかし、予備校のような一見プロですらも個別の大学や学部といったすべての条件に対応できてはいない。

 

例えばちょっと難しい英単語が出てきたとき、

「目指しているのは法律系だからこの単語は絶対に覚えておくべきだ」、

「経済系の単語で出題が学部の分類で比較的近いからなるべく覚えておきたい」、

「医療系の単語は目標とずれるから優先度は低めだ」、

といった深さの解説はほとんどされないだろう。

 

これが受験勉強であれば期間も限られてくるから多少のずれは量でカバーできるが、社会人になれば話は別だ。

 

給料を上げるためにするために必要な努力は?

 

資格試験に合格すること?

プログラミング言語など現場で使っている知識を自分で独自に勉強すること?

タスク管理などのビジネススキル?

あるいは上司に好かれて評価が上がることだったり、場合によってはそもそも転職することが正解の場合もある。

 

ただでさえ仕事で時間を取られるのが社会人だ。

努力の方向性が間違っていれば無駄な時間を取られるし、逆に正しい努力をピンポイントでできれば必要な部分に戦略的に時間を注ぐことで超スピードで成果を得ることも不可能ではない。

 

僕自身、努力は尊いものだと数限りなく聞かされてきたが、その努力が正しいかどうかは問われないことが多かった。

 

そして成果が出なかったときにはお決まりのように「努力が足りない」と責められるか、「才能がなかった、向いてなかった。他のことで頑張れば良い」という定番の意味のないフォローがされてきた。

 

もうそういったことにも慣れてしまった。

 

その上で改めてこれからの人生をどうしようかと考えたときに、戦略的に訓練をすることが重要ではないかと今回「NARUTO」を読み返していて考えたのだ。

 

質の前に量があるという事実の残酷さ

 

そして岸本斉史氏のコラムを読んでいると、残酷な真実にもまた気が付かざるをえない。

 

彼は小学生の頃とかそれ以前から(意識せずに)膨大な絵の訓練をしていたし、高校時代から新人賞に応募するための31Pの漫画をきっちりと完成させている。

 

先に語った大学卒業後の修行も既に一定の基礎的な訓練を積んで新人賞を取った後の話なのだ。

 

アニメ制作を描いたアニメ「SHIROBAKO」7話でのセリフ、

 

「速く描くには上手く描く

上手く描くにはいっぱい描く

いっぱい描くには速く描く」

 

これに似た残酷さがあるように思える。

 

しかし絶望する必要はない。

 

「NARUTO」15巻のコラムで新人賞を取る前にも、岸本斉史氏が「少年誌にあった絵とは何か?」を求めてアニメーターの絵柄を真似する話が語られている。

 

この「絵の戦略的な訓練」を経て彼は新人賞を取った。

 

つまり(もちろんそれまでの努力もあるのだが)、岸本斉史氏は「NARUTO」でデビューする前に最低2回の「戦略的訓練」を積み重ねているということだ。

 

最短距離で「戦略的訓練」を重ねれば手が届かないと思い込んでいる目標でも、実は意外とたどり着ける可能性はゼロではないのかもしれない。

 

ジャンプでよく言われるヒット作の法則は「友情・努力・勝利」だが、現実で成功するための法則は「戦略・努力・運」あたりなのではないだろうかと思うのだ。