アニメーションに奥行きをもたせ、初期作品から30年以上を過ぎてもなお勢いがとどまることのない人気シリーズ「ガンダム」。
ファーストガンダムで舞台となった宇宙世紀シリーズとは異なる設定・時代を描いた「鉄血のオルフェンズ」は今までのガンダムではやれなかった新しい試みに挑戦した。
重厚な世界観を見事に表現した本作を最後まで見終えたとき、僕は「鉄血のオルフェンズ」が「ガンダムの先」を示そうとした作品だったと気づいた。
今日はそんな「鉄血のオルフェンズ」についてちょっとした妄想を交えながら語ろうと思う(全編に渡ってネタバレがあります)。
1期の評価は95点、2期の評価は79点
「鉄血のオルフェンズ」は1期と2期、それぞれ25話ずつ、合計50話の作品だ。
端的に作品に点数をつけるとすれば、1期は95点、2期は79点と僕は評価する。
僕のSEED以降のガンダムシリーズ(ビルドファイターズやTVで未放映は除く)に対する評価は高い順に、
UC(ユニコーン)100点、
SEED90点、
00(1期2期通算)80点、
Gのレコンギスタ75点、
SEED DESTINY65点、
AGE55点
となっている。
好みもあるが80点が優れた作品かどうかの優等生ライン、60点が悪くはなかったと言える赤点ラインだ。
個人的評価としては「鉄血のオルフェンズ」1期は極めて高く、2期はあと一歩惜しい作品だったと思う。
採点基準などについてここからもう少し深く説明したい。
評価項目は「テーマ性」と「エンターテイメント性」の二つ
「ガンダム」という作品は初期シリーズからその「深さ」によって熱狂的なファンを獲得してきた。
それだけに、ただなんとなく面白いというだけでは視聴者を満足させられない、俺達こそがアニメを引っ張っていくんだというブランド独特の高い壁のようなものがあるように思う。
それゆえに僕が作品を主に評価する項目も「テーマ性」と「エンターテイメント性」の二つに大きく分かれる。
両方ともが上手く描かれていれば80点以上、片方が足りなければ60点以上80点未満、両方物足りなければ60点未満といったのがだいたいのイメージだ。
もちろん、細かいところで点数の加算がある。
例えば「00」は80点だが「テーマ性」を「エンターテイメント性」に上手く落とし込めているかというとあと一歩だった。
だがキャラクターやガンダム自体の造形が優れている分、本来75点が80点になったイメージ。
「AGE」は足りない部分が多すぎて50点が妥当だと当初感じていたが、OPが優れていたことで55点としている。
「鉄血のオルフェンズ」の1期はファーストガンダム以来の主要なテーマを今風に描きなおした、少年たちが自分の居場所を得るために地球への旅をするという「テーマ性」と「エンターテイメント性」を見事に融合させたことを評価して95点とした。
対する2期は1期で旅を経験した彼らが運良く手にしたものを、いかに一時的なものではなく現実のものとするかという「その先」を描く物語だったと僕は解釈しているのだが、わかりにくさが目立ち「エンターテイメント性」が各話においてその場しのぎだったように感じることがあったため評価を下げた。
(とは言っても、物語の終着点は妥当なものだと思うのであと一歩という評価だ)
Gガンは確かにガンダムを破壊したかもしれないが……
ガンダムシリーズの中でも特殊な作品扱いされるのが「機動武闘伝Gガンダム」だ。
それまでのリアル寄りだった世界観を否定し、各国ごとの代表がモビルスーツでの代理戦争を通して世界の覇権を争うという内容はジャンプの「友情・努力・勝利!」やコロコロコミックでよくある「おもちゃで世界征服」にも似たテイストに仕上がっている。
ここまで好き勝手やっていいのか!
というガンダムを作るものたちへのメッセージ性はあったかもしれない。
だが僕は、
ガンダムの王道を避けてるだけでちょっと違うんじゃんないか?
というモヤッとした感覚がGガンにはある。
東方不敗やゲルマン忍者、アレンビーと言ったキャラクターは心に残っても、物語として残るものがないように感じたのだ。
対する「鉄血のオルフェンズ」では、1期3話の三日月がクランクを射殺するシーンで「これまでのガンダムではタブーにしていた部分も描くよ」という強い意志を感じた。
そしてその意志が作品の基本的な形にきちんと現れており、最後まで貫き通したことが一見バッドエンドだが奇妙な満足感のある結末にたどり着いた原因だと思う。
「ニュータイプ」を否定するところから新しいガンダムは始まる
ファーストガンダムからの頻出ワードである「ニュータイプ」。
簡単に言うとテレパシー系の超能力のようなもので、人類が宇宙に進出して身につけた特殊能力だ。
主人公やライバル、ヒロインなどが持っていることが多く、本来わかり合うための力が生き残ることを優先した結果、皮肉にも戦いに使われるという流れがシリーズで形を変えて繰り返し描かれている。
この種の特殊能力は形を変えシリーズに登場してきたが、徐々になんとかそこから離れようという作り手たちの思惑が感じ取れるようになってきた。
SEEDでは遺伝子を改造したコーディネーターとして、00ではイノベイターや超兵として。
そして「鉄血のオルフェンズ」でついに「特別な力」は手術で機械を埋め込む「阿頼耶識システム」に到達する。
作中でも三日月のパイロットとしての技術は卓越したものとして描かれているが、「ニュータイプ」的な要素はまったくない。
ファーストガンダム以来の「人はいかにしてわかり合うのか?」というテーマを特別な力を使わずに描いた(詳しくは後述)ことは大きな意味があるのではないか。
ご都合主義も作品には必要か?
「鉄血のオルフェンズ」の特に2期45話でシノがダインスレイブを撃つのに失敗するシーンに象徴されるのが「ご都合主義の排除」である。
むしろ48話のラストあたりは「危機的状況なんだからオルガも他二人も、もう少し異変に気づいてからの反応が早いんじゃないか?」というツッコミを入れたくなる「逆ご都合主義」すら感じられる。
SEEDからSEED DESTINYであった、なんでこのキャラが生きてるんだ? というツッコミのカウンターだとは思うのだがもう少し描き方があったようにも思う。
特に48話はシチュエーションが41話(ラフタの退場回)の焼き直しにも見えたのでここはもう少しなんとかしてほしかった。
かと言って安直なご都合主義で問題が解決するのも納得がいかないのは当然のこと。
「ガンダム」はシリーズを通して設定的なもの以外の、ストーリー上の伏線を貼ることをあまり得意としていないようにも思う。
その点ではタカキの離脱から再登場は比較的納得しやすかったが、欲を言えばもうワンクッション欲しかった。
1期はフミタン周りが想像の余地が残る形でこのあたりのバランスが素晴らしかった。
「エンターテイメント性」を追求するにはこの点において各回の脚本家が異なる場合は意見調整が必要なように感じる。
そういった点もあって、僕は2期の評価をやや辛めにつけたのだが一定の理解がいただけたら嬉しい。
ガンダムシリーズとしては大きな意味のある作品だった
主人公たちが破れて終わる「悪」を描いたストーリー
「鉄血のオルフェンズ」はガンダムシリーズとしては珍しい、主人公たちが破れて終わるエンディングになっている。
これは非常に意味のあることだ。
ファーストガンダムでシャアが所属していたジオンは悪として描かれ敗れた。
主人公アムロの所属していた連邦は腐敗こそあれ基本的に正義だったのだ。
後の作品になると大きな敵を失ったことでその腐敗が悪として描かれたり、主人公は圧制者に対するレジスタンスや第三勢力として立ち上がることが多い。
潮目が変わったのは00だと思う。
主人公たちの「ソレスタルビーイング」は圧倒的技術で全方位に喧嘩を売るある意味でテロリスト染みた集団だったがなんとか生き残る。
劇場版ではその理念も多少は理解されたのか(プロパガンダ的意味もあるが)一応名誉を回復されている。
対して「鉄血のオルフェンズ」では鉄華団は破れ、秩序を乱した悪として歴史の影に消え去る。
だが、主人公勢力の描き方としては圧倒的に「00」より「鉄血のオルフェンズ」に共感できるのだ。
正直なところ「00」で描かれた出来事は「逆シャア」でのアムロのセリフ、
「世直しのこと…知らないんだな。革命はいつもインテリが始めるが、.
夢みたいな目標をもってやるから、いつも過激なことしかやらない!」
これを思わせる遠い世界の出来事にすぎない。
だが、「鉄血のオルフェンズ」でオルガや三日月たちが戦ったのは生存競争が根本にあり、長い目で見れば(2期においても)避けられないことだった。
作品としては47話でのザックのやるせなさを感じさせるセリフがすべてを物語っているように思う(「一生懸命なやつらなのに~ろくな先が待ってないの見えてる」)。
OVAなどでは比較的自由度が高かったが、この負けて終わるというエンディングを主力のTVシリーズでやったことは作品の幅を大きく広げる可能性を持っていると思う。
ガンダムのヒロインはクーデリアで完成した
ガンダムのヒロイン論については初代のララァから詳しく書きたいのだが、ほぼ全作品触れる必要があり長くなるので簡単に説明する。
基本的にガンダムのヒロインは「母性の象徴」と「戦う女性」の2パターンがあるというのが僕の持論だ。
前者はララァやファを始めとした本来戦うのが向いていないキャラクター。
後者はパイロットというよりも政治家的な意味で、内ゲバで自爆したキシリアで始まりハマーンで地位を確立。
その後、敵側が中心だったのが「W」のリリーナで主人公のヒロインとなり「SEED」のラクスや「00」のマリナで方向性を模索してきた。
そして、「鉄血のオルフェンズ」では「母性の象徴」をアトラが担い、「戦う女性」をクーデリアが担った。
中でもクーデリアは「鉄血のオルフェンズ」の主人公の一人と言っていい。
キシリアやハマーンのように女性が男性化するのではなく、
ディアナやラクスのように現実離れしたカリスマを使うのではなく、
1期で成長を描いたことでクーデリアは初めて政治家として地に足をつけた説得力を備えたヒロインとなった。
これは「鉄血のオルフェンズ」のラストが彼女の後日談的に語られるのと深い関係があると思う。
鉄華団視点だとバッドエンドだが本作の後味が悪くないのは、彼らの意志をクーデリアが正しく受け止めて前に進んでいるからだろう。
逆に、このポイントを超えたことで「主人公が女性でパイロット」「ヒロインが男性で政治家」のパターンが今後生まれる可能性がある。
飛び道具ではあるが、いつか1作は作られるだろうという確信があり今から楽しみな設定である。
戦いの最中に話さない「リアルさ」がようやく定着した?
ガンダムに限らず、ロボットアニメのパイロットと敵キャラクターは戦闘中によく喋る。
もともとガンダムは先に挙げた「ニュータイプ」というテーマもあって特に互いの主張をぶつけ合うことが多い。
そこで勘違いやすれ違いといった悲劇やドラマが生まれることが多かったのだが、今作では三日月はその対話を一貫して否定する。
これは「鉄血のオルフェンズ」の根底が生存競争であることと無関係ではない。
三日月にとってわかり合うべきは敵ではなく味方であり、そしてオルガとは作品開始前から深い部分で互いを基本的には理解し合っている。
ただし、鉄華団が組織として大きくなったり主要メンバーが抜けることを通じて危機感を感じたのか、その拙いコミュニケーション力を少しずつ表に出そうとしているのが描かれている。
敵味方で一見衝動的に見える裏切りがあったり、そうしたキャラが元の勢力に「出戻り」しても罰をなあなあで済ますことが多かった過去作の文法とは大きく異なるのだ。
これは非常に面白い取り組みで、一定の成果もあげたと思うが「エンターテイメント性」においては主張を真っ向から受け止める三日月のライバルが不在になるという諸刃の剣でもあった。
ただ、時代の流れとしては完全にこの「戦闘中は話さない」流れが来ているようにも思える。
そして「鉄血のオルフェンズ」ではクーデリアやオルガが担った戦闘前の交渉や事前準備といったシーンがそれをカバーしようとしていたのも強く感じられたのだ。
作品としてはより緻密なバランスの脚本が求められるが、上手く行けばより面白い物語が出来上がる可能性ができたことも確かであり、今後が楽しみなポイントだ。
僕が見たかったオルフェンズ2期。もしストーリーを再構築したら
最後に、名作まであと一歩という評価をつけた「鉄血のオルフェンズ」2期のストーリーを何が悪かったのかを分析して再構築してみようと思う。
ここから先は僕の妄想だし、今後「鉄血のオルフェンズ」自体が劇場版など続編が出ることなどで設定がひっくり返る可能性もあることはご容赦頂きたい。
不足していた点は「ライバルキャラ」「わかりやすい縦軸」「序盤の速度」
「鉄血のオルフェンズ」2期で不足していたのは「ライバルキャラ」「わかりやすい縦軸」「序盤の速度」の大きく3つだと僕は思う。
「ライバルキャラ」は三日月が強くなりすぎて敵がいなくなってしまった問題のことだ。
仮面枠のガエリオはマクギリスのライバルとなってしまったし、ポジション的にはジュリエッタだが強さが足りなかった。
これは比較的すぐに解決できる問題だと思う。
純粋なモビルスーツの操舵能力では三日月をトップに据えたまま、ジュリエッタは指揮能力に長けたキャラクターにすればよかった。
言ってみれば「コードギアス」のスザクが三日月で、ルルーシュがジュリエッタのポジションのようにして描くという形だ。
あと一歩まで三日月を追い詰めながら機体性能で突破されたり、勝ちきれずに業を煮やしたジュリエッタがMAの力に頼る展開などにも膨らませやすいし、三日月の弱い部分をカバーする形でオルガや味方キャラが機転を利かせてフォローする展開などを組み込んで目立たせることもできたはずだ。
「わかりやすい縦軸」は一応用意されていた。
「火星の王になる」という展開だ。
だが、どうすれば王になれるのか? という方法が上手くなかった。
作中ではマクギリスと協力してクーデターを起こしたわけだが、マクギリスの真意がしっかりと描かれなかったことと、クーデター自体に鉄華団は初動で関わらなかったこともあってわかりにくい。
解決法としてはマクギリスの話を増やして流れをつかみやすくすること、クーデター自体に初期から鉄華団が積極的に関わっていくことが一つ。
もう一つは根本からシナリオを変えることが考えられるが、今回は折角なのでこちらにしたい(具体的な話の流れは序盤の速度問題のあとで)。
「序盤の速度」に関しては地球と火星にまたがる組織に成長したという1期からの変化を描いたことで生まれた弊害だ。
タカキについて描くことなどが必要なのは分かるが、33話「火星の王」で2期の縦軸が語られるまでに7話の助走はいくらなんでも長すぎる。
これはオルガや三日月たち主力組があらかじめ地球にいたときに起きた事件にすれば話数を圧縮できた。
その上で組織が拡大したことで仕事が増えたため、1期ではなかったオルガと三日月の物理的距離を地球の表裏レベルで離せばお互いに不足している部分から生じるピンチを自然に描けるし、鉄華団はどうあるべき・何を目指すのか? という縦軸にスムーズに繋げられるだろう。
シナリオ案:表の主人公はクーデリア、話の主軸はMAを巡る火星の覇権争いにする
シナリオ案としては、2期で目立たなかったクーデリアを鉄華団が火星の代表にプッシュする形だ。
そして、クーデリア+鉄華団、ギャラルホルン、マクギリスの三陣営で火星に眠るMAを争奪戦する、力を抑えた結果支配者になれるという流れだと「火星の王になる方法」もわかりやすい。
そうなるとテイワズは鉄華団とギャラルホルンに派閥で分かれる展開が自然だろう。
マクギリスやイオクに名瀬を人質に取られた結果、鉄華団と敵対するタービンズというのも面白いかもしれない。
具体的に展開を箇条書きすると、
2期1話~6話(26話~31話):地球でのゴタゴタ→鉄華団は今後どうする?→マクギリスのそそのかしでMAを抑えれば独立できると知る→信頼できるクーデリアを表向き火星のトップにしよう(マクギリスとは一応協力)
7~12話(32話~37話):地球出発(タカキ離脱)→ジュリエッタと三日月の戦い→イオクがテイワズの一部と組む(ガエリオが尻拭い)→マクギリスの陰謀で鉄華団とタービンズ敵対(まだマクギリスの仕業とはバレない)
13~18話(38話~43話):火星到着→プルーマが起動してそれの処理→MAは大したことない疑惑→ハシュマル起動→MAの脅威が明らかに→三勢力が協力して対処に→マクギリスが裏切ってMAを入手
19話~25話(44話~50話):地球でのクーデターが発生してギャラルホルン混乱&MA被害で鉄華団混乱→立て直し→地球へ向かうマクギリスを追う→地球で被害発生→生き残った一部ギャラルホルン(ガエリオなど)と協力してMA討伐→後日談
こんな流れになるだろうか。
各勢力のMAに対する態度としては、
クーデリア・鉄華団:MAは危険なので基本的に封印。兵器以外の技術だけ産業に活かす
ギャラルホルン:抑止力としてMAを保持、ゆくゆくはモビルスーツに技術転用
マクギリス:MAを兵器として利用して革命する
こうなると主張が分かれる上に特色が出ると思う。
キャラクターの成長の描き方。オルガはいつ退場するべきだったか
最後に「鉄血のオルフェンズ」が「鉄血のオルフェンズ」である以上、全員が全員生き残る結果と言うのはあり得ない。
メインの展開が変わってもテーマとしてオルガは確実に退場しただろう(三日月は阿頼耶識システムの副作用で戦えなくなって生き残るのは五分五分だった思う)。
であればいつ退場するべきだったか。
もちろん、本編の展開ならあの場面以外なかったが、せめて狙撃されるくらいでなければ先に語ったように説得力が薄い。
僕が先に語った妄想では、43話でマクギリスがMAを入手して本性を表したところでクーデリアか仲間をかばって退場するのが具合がいいと思う。
こうなるとマクギリスにラスボスとしての風格が出るし、ヘイトも集めやすい。
さらにオルガの死を受けて鉄華団を立て直すのも自然な流れになるだろう。
キャラクターの退場は扱いが難しいが、残された者が成長する理由にもなる。
「鉄血のオルフェンズ」はその点に非常に意識的だったことはとても印象的だし、今後のガンダムでも大事にしてほしい。
最後に特に後半妄想だらけだった文章を終わりまで読んでいただいてありがとうございます。
少しでも楽しんでいただけたら嬉しいです。
宇宙世紀ももちろんですが、それ以外のシリーズも今から次のガンダムが楽しみです。