どうも、お金がなくてPS4を買えず、まだペルソナ5をやれていないタイヘイです。
どうにも声が大きく感じる偏った主張を耳にすると居心地が悪く、現実でも今ひとつ煮え切らない僕です。ですがここぞというときの選択は不思議と即決できて、良い方に向かうことが多いのに最近気が付きました。
どうしてだろうと考えたとき、僕が長年触れてきたオタク文化、それも一つの作品に漫画やアニメ以上に長時間どっぷりとつかるゲームというメディアにヒントがあるのではという仮説が生まれ、いくつかの作品を掘り返してみることに。
今日はそんなゲームの中でもペルソナ3から一気にメジャーになったゲーム会社アトラスのRPGシリーズ「真・女神転生」から学んだ考え方について話そうと思います。
最近だとソーシャルゲームもシステムやストーリーが凝った作りとなりつつあり、時代の変化を感じますが、一般の人でも多く触れる機会があるのはやはりRPGではないでしょうか。
ポケモンやドラクエ、FFといった国民的という言葉が頭につく大作は普段ゲームをしない人でも新作がでたときなどはしばしば耳にすることがあるかと思います。
僕自身もオンラインゲーム化する前のドラクエ・FFはほぼすべてプレイしていますし、ポケモンも初代赤・緑からダイヤモンド・パールくらいまでは現役でした。
お金がなかった中学・高校時代などはゲームセンターに入り浸ることもできなかったので、一度買えば遊べる家庭用ゲームを中古で買うことが多かったです。
しかもRPGは特定のキャラクターや武器・魔法などを禁止した縛りプレイをすることで何度も遊べるちょうどいいおもちゃだったなあと今になってみると懐かしく思うのです。
そんなRPGですが、あなたはちょっとマイナーなタイトル「真・女神転生」を知っているでしょうか?
ペルソナ3で一躍ヒット作となったペルソナシリーズのスピンオフ元のシリーズです。
ドラクエで言うと、ドラクエ3とか8とかが「真・女神転生」で、ドラクエモンスターズが「ペルソナ」みたいな関係だと考えるとわかりやすいかと思います。
「真・女神転生」のドラクエやFFなどの王道に対するカウンターカルチャー的な、無常観に満ちた世界観は強烈な印象をプレイヤーに与えます。
- 剣と魔法の中世風ファンタジー
- 敵は基本的に魔物、主人公の活躍で魔王が倒されて平和になる
- 主人公の選択はほぼ物語の結末には関係せずハッピーエンドになる
- 現代を舞台とした銃やコンピュータも出てくる世界観
- 敵は「悪魔」と呼ばれる怪物だが道から外れた人間や一般的なゲームでは良いものとされる神様も含む
- 主人公の作中の行動や選択で物語の結末が大きく3つ程度に分岐する
だいたいこんな感じですね。
僕は勇者にはなれない
小学生や中学生のときはドラクエが大好きでしたが、歳を重ねるごとに目が肥えてきたこととは別に段々と以前より作品にのめり込むことができなくなっていきました。
当時、PS版ドラクエ7のCMで流れていたのは「人は誰かになれる」というキャッチコピー。
国民的タイトルとして知名度も十分なそれに出演していたのは解散する前のSMAPでした。
2年ほど前に「夜空ノムコウ」でミリオンヒットを飛ばし、このCMのころ「らいおんハート」で二度目のミリオンを出し、さらにこのCMの2年半後に「世界に一つだけの花」でダブルミリオンを記録した、まさに絶好調の時期です。
新作がSFCからいよいよPSに機種を移し、グラフィックやシステムもどう変わるんだろうとワクワクする一方で、なんとなくこのCMに「ちょっと違う感」をおぼえたのをなんとなく憶えています。
この時期のSMAPはTVで歌番組などにも毎週のように出ていましたし、いろいろな賞も取っていたと思います。
今になって思うと、そんな「特別な人たち」が「人は誰かになれる」というキャッチコピーを使うことに対してどこか違和感を感じていたのかもしれません。
勉強は努力である程度伸ばすことができましたが、学年1位などトップが取れるまでにはなれませんでした。
部活でもレギュラーになるほどの実力はなく、たまに状況に応じてちょっと使ってみるかという程度の補欠といった学生生活。
特別モテたわけでもないし、結果アニメや漫画にハマっていったわけですが、当時はオタク的な趣味にも今ほど寛容さはなく、運動部ではガンダムを見ていることすら何となく内緒にするのが自然でした。
僕は勇者にはなれないーー。
そんな思いを抱いたしばらく後、僕はリメイクされた「真・女神転生」と出会ったのです。
やり始めた当初は、なんて面倒なゲームだろうと思いました。
まずストーリーがめちゃくちゃ暗い。
主人公が警察に捕まったり、母親が悪魔に×されてしまったり、挙句には主人公が頑張って中ボスを倒したのに東京にミサイルが降って壊滅してしまいます。
そしてゲーム自体の難易度が高い。
まず仲間。主人公とヒロイン、他に二人の人間の仲間がいるのですが、人間の仲間は終盤に近づくと主人公とヒロインだけになってしまいます。
その上、仲魔といって出て来る敵キャラを味方にできるのですが、ポケモンと違って交渉でお金を払ったりする必要がある上にうまくいかない確率の方が高くて仲間にするのがめちゃくちゃ大変です。
敵キャラも雑魚なのにこちらの物理攻撃を反射してくるやつがいたりして、それまで何となくレベルを上げればクリアできていたRPGとは違いました。ラストダンジョンなどはとんでもない広さで回復アイテムの配分なども含めて頭をつかう必要がありました。
しかし妙に惹きつけられるものがあり、当時は自分のパソコンもなかったので攻略サイトにも頼れず、地道に手書きの攻略ノートを作りながら1ヶ月半くらいかけてなんとかクリアしました。
そうしてたどり着いたエンディングが納得いかないものだったのが一番心に残っています。
天使の味方となって魔王を倒すというのが終盤のストーリーだったのですが、エンディングの最後に出てくる神様の使いが異様にうさんくさい。
そしてよくよくセリフを読んでみると、この後の人類に訪れるのはディストピアを暗示しているようにも受け止められる表現で締めくくられていたのです。
エンディングのスタッフロールの最中はそれまでのシーンの回想に涙することもなく思わず真顔になり、一度はゲームを放り投げました。
ですがここまでどっぷりゲームにハマるのは(難易度的に)初めてでしたし、どうしても納得がいかずに答えを探しました。
友達に聞いてみてもちょっとマイナーなゲームなので誰も知りません。スマホが普及前で検索も簡単にはできない時代です。
自宅にPCのなかった僕は、友達の一人に図書館ならネットができるというアドバイスをもらい、学校帰りに地元の図書館に向かいました。
そこで知ったのがエンディングが3パターンあるということでした。
僕の見たのはLAW(秩序)ルートというもので、いわゆるグッドエンディングはNEUTRAL(中庸)ルートだったのです。
サイトの説明を読むと、普通のRPGのように人助けなどをしすぎると秩序ルートに行きやすいがそれが必ずしも良いわけではなく自分の頭で考えてバランスを取るのが正しい選択、のような解説がありました。
ゲームだろ、とツッコみたくなる一方で何となく否定できないものが残る不思議な体験だったのを憶えています。
「真・女神転生」でもドラクエと同じく主人公は最後には人を超えた圧倒的な力を持つわけですが、それはあまり気になりませんでした。
それよりも、すべてではないにせよ自分の選択で物語の結末が変わるということが衝撃だったのです。
勇者になれるドラクエではやり方によっては鍛えた主人公ひとりでラスボスを倒せる作品が多いですが、エンディングは基本的に1つです。
「真・女神転生」の主人公は最後は英雄的立ち位置になりますが道中で「転職」はできません。
どんなに鍛えても主人公は魔法を使えず、回復役が必要だったりする関係で一人でラスボスを倒すことは困難です。
しかし自分の行動でエンディングを選ぶことができるのです。
後日ノートを図書館に持ち込み、結局すべてのエンディングを見た後も見落とした細かいイベントを探して合計6周しました。
勇者にはなれなくても、与えられた役割をただ果たすよりもむしろ自分で考えた方が色んな選択肢があるのではないかと教えてくれたのが「真・女神転生」だったのです。
奨学金で学ぶ、通知表で4を取るのが一番効率の良い人生
一方その頃の僕は、特に高校に入ってから志望校の関係から推薦の意味はあまりなく、学校の授業と受験科目のズレが出てきたこともあってそれまで取ったことのないひどい成績を取る科目が出てきました。
ただ、家計的に奨学金を借りる必要があることはわかっており、奨学金について詳しく調べたことがそういった科目に意外な影響を与えました。
最もメジャーな貸与式の奨学金には一種と二種があり、一種は無利子で借りた金額だけ返せばよいのですが二種は利息を足して多めに返さないといけません。
金額にすると、2種は大学4年間で毎月5万円を借りたときに60万円の利息がつくことになります。
お金についてもう少し学んだり、サラリーマンを経験した後だと利息としてはむしろ安いのは理解していますが、当時の僕には60万円というのは天文学的数字でした。
小さいときから貯めたお年玉やお小遣いが、利息という僕にとって何の価値もあたえない存在として消えてしまうに等しかったのです。
そして、それはちょっと頑張れば避けることができる。
親が国公立にこだわる意味も理解できましたし、ようやく少しは勉強を頑張る気になったのです。
そうは言っても受験で使わない科目などはどうしても身が入らないのも事実。
どうするか悩んだとき、ここで目をつけたのが一種奨学金に必要な評定平均の数字でした。
一種、つまり無利子の奨学金に必要なのは5段階で3.5以上の評価が必要となります。
受験に使わない苦手な科目では3を最低限取り、受験で使う科目は4を取れば良いのです。
国公立を目指せば必要な科目数は自然と多くなるため、その方針で普通に授業を受け、ちょっとだけテスト勉強をすれば十分にクリア可能な数字でした。
しかし、嬉しいことに学校の成績は上がっても定期的に行われる模試での成績はなかなか振るいません。
特に授業で5をもらった科目が平均点にいかないときなどは悔しい思いをしました。
このときに、学校の勉強と受験の勉強はどうやらある程度のズレがあるということに気づけたのは運が良かったと思います。
それまでは得意科目は余裕を作るために5を狙っていたのですが、戦略を練り直し、ちょっと手間をかけてわざわざ5を狙わなくても4で十分だと考えるようにしました。
結果、通知表での5の数は減りましたが模試の成績は順調に上がっていくようになったのです。
時間というのは有限で、天才ではない(=勇者ではない)自分はすべてを完璧にこなすことはできない。
でも頭を使って戦略を練って取り掛かることである程度はカバーできる。
結局この後の受験ではここでは書ききれないほどのことがあったのですが、この「真・女神転生」が土台になった思考法は最終的には一定の成果を生むことになりました。
「レールのない道」を助けてくれるのはペルソナで学んだキャラ愛という意味のないこだわり
なんだかんだと大学生になった僕は行動範囲が広がり、そこで今まで出会うことのなかった頭脳ではまず敵わないだろうという人がいるということを初めて知りました。
コミュニケーション力もちょっとモテるとかそれくらいならなんとも思わないのですが、アルバイトで夏休みの間だけやったテレアポでは同学年で同じ未経験なのに金銭的にぜんぜん違う結果を出す人がいたのには衝撃を受けたのを憶えています。
僕が本質的には営業という仕事が不要なものだと嫌っているのもありますが、それ以上に学力など数値化できる能力以外にも社会で役に立つ能力があり、そして特化した能力にはちょっと勉強が出来る程度では敵わないのではないかということを考えるようになったのはこれがきっかけでした。
かと言って、僕は日本一周とかやるタイプではありません。
コミケに友達と参加したり多少は行動的になりましたが、基本的にはインドア派のオタクなのです。
ここで時間が余ったこともあって受験以来ちょっと離れていたゲームに再び手を出したことがちょっとした出会いを生みます。
「真・女神転生」のスピンオフ、ペルソナシリーズの「ペルソナ3(正確には追加要素版のペルソナ3フェス)」と「ペルソナ4」です。
無印のペルソナと2(罪・罰)をプレイしていないことと、3からいきなりちょっとオシャレな感じにイメージチェンジしたことで敬遠していたのですが友達に勧められてプレイすることになりました。
これが、めちゃくちゃ面白かったのです。
ちょっと頭を使う戦闘システムが、しかし敵の弱点が視覚的にわかりやすくなっていたりとっつきやすく、しかし難易度的には普通のRPGよりも難しめでやりごたえがある。
「真・女神転生」では全編に渡って暗い雰囲気だったのが、学園ものとして楽しめるようになっておりシリアスなストーリーの間の良い清涼剤となっています。
魅力的な可愛いキャラクターと何度もイベントを繰り返すことで恋人になることもできる、オタクとしては至れり尽くせりの作品だったのです。
かつてプレイしたことのあるPS末期の名作「ガンパレード・マーチ」をどこか彷彿とさせるゲームだなあ、としみじみと思いました。
この頃になるとオタクもだいぶ普及し、ちょうど友人がAKBにハマって握手券目当てで買ったCDを周りに配っていたりするのも少し変わった趣味だな、という程度で受け止められていたのが記憶に残っています。
そして僕も特に何か役に立つわけではないけれど、このキャラに対する愛ならかなりのものではないか? というキャラ「桐条美鶴」に出会ったのです。
それまで「ルイズは俺の嫁」とか言っているのを斜めに構えて見ていたのを馬鹿にしないどころか、そこまで好きになれるのはすごいと思えるようになりました。
AKBが好きな友人はライブなども追いかけてアルバイトで貯めたお金を惜しみなく使っていましたが、震災のときなどはその軽いフットワークで素早くボランティアの手伝いなどをしていたのが印象的でした。
ここで知ったのは、気になるものや好きになったものには惜しみなく労力を注いだ方が結果的に何かに繋がることもあるということです。
やりたくないけれどやらなければいけないことはそこそこの努力でも良いのですが、それは損をしないことの延長にある消極的な考えです。
決められたレールがない場所では積極的に動くことが必要となり、そのために好みや興味というのは指針の一つになりうると気づきました。
この頃から特に僕は漫画をチェックする数を増やしており、今も週刊誌・月刊誌など合わせて毎日1冊以上は読んでいます。
そしてそれがインプットにつながって高校のときに書きたくても書けなかった長編小説を完結させることができ、2次選考落ちですが新人賞に出すことができました。
また、アルバイトは何となくやっていたコンビニを止め、従兄弟に教えたのが好評だったのが印象的だった家庭教師に真剣に取り組んだ結果、4ヶ月で60万ほどを稼いだこともありました。
正直なところ今現在、会社を続けられなかったことに対してあの人がいなかったらなあ、と思うこともあります。
ですが心の奥底ではなんとかなると思っているのもまた事実。
それは色々と調べてシミュレーションした結果だけではなく、「ペルソナ」との出会いとそこから自分で築いた組織に頼らない成果がささやかながらあるからだとも思うのです。