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ビジネス領域から見る「けものフレンズ」と「ひぐらしのなく頃に」の共通点

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どうも、タイヘイです。

 

最終回直後に熱にうなされるように10時間かけて「けものフレンズ」についての記事を書きました。

 

おかげさまで始めたばかりの僕のブログとしては人気コンテンツとして多くの方に読んでいただいているようです。

 

その後、「けものフレンズ」は12.1話と題して短い映像を発表したり、さらにこれとは別の新規映像の制作が待ち焦がれるなどまだまだ話題を提供し続けています。

 

今回僕はある記事を読んでもう一度だけ別の側面から「けものフレンズ」について書く必要があるなと感じてこの記事にとりかかることを決めました。

 

前回が「作り手」に関する文章だとすれば今回は「売り手」に関する文章です。

 

そして熱心なファンというよりもむしろ、いわゆる今回の「けものフレンズ」のヒットが気にいらない「アンチ」の方にもぜひ読んでいただけたらうれしいと思っています。

 

 

 

 

「けものフレンズ」11話のショックから12話の大団円まで気が気でない1週間を過ごした僕は、その最終話を視聴した勢いから非常に長い感想と作品を分析した記事を書きました。

 

その後、ネットの反応(とくに匿名)を見るとちょこちょこと見かける否定的な記事。

まあヒット作品は目に触れる人も多いし、アンチも出てくるだろうといつもながら受け流していました。

 

しかし僕自身 、「けものフレンズ」のこのヒットもそうだけど最近なんだかモヤモヤすることがあるなと感じることが少なくありませんでした。

 

そして今日、

アニメ「けものフレンズ」の仕掛け人が語る大ヒットの秘訣 (1/5) 〈週刊朝日〉|dot.ドット 朝日新聞出版

上の記事を読んでなんとなくそのモヤモヤの原因に気づくことができたのでその正体について書いていきます。

 

 

「正解率1%」はネットがなければ生まれなかった

 

 

「ひぐらしのなく頃に」を皆さんは知っているでしょうか?

今二十代後半から三十代前半の人は知っていても大学生かそれより下の人はあまり知らない作品かもしれません。

 

「ひぐらしのなく頃に」は2002年から2006年にかけて1年に2回コミックマーケットを中心に頒布された、ホラーとミステリーを組み合わせたアドベンチャーゲームです。

 

アドベンチャーゲームというと「シュタインズ・ゲート」あたりだと知っている人も多いかと思います。

あの形式で当時よくあった中学生の男子が女の子に囲まれてキャッキャウフフするギャルゲーかと思ったら、作中で殺人事件が起きてしまうプレイヤーにはびっくりな作品でした。

 

しかもこの作品、アドベンチャーゲームなのに作中に選択肢がない。

 

つまりプレイヤーがどう事件を推理したところで犯人が見つかったり事件を防いだりすることができないわけなんです。

 

そんな作品の何が面白いんだ?

と思われるかもしれませんがこれはゲームとして見ると分かりにくいのですが、漫画として見ると分かりやすい。

 

作品が完結した2006年は「デスノート」の連載されていた時期ですが、「デスノート」がジャンプ掲載されていた当時、ネットの掲示板などでは盛んに先の展開が予測されていました。

 

主人公である月がノートの所有権を手放したヨツバキラ編で誰がノートを持っているかなどの予想はすごい盛り上がりだったのを覚えています。

 

「ひぐらしのなく頃に」はこれと同じようにゲームをプレイしたプレイヤーたちが事件を推理して作品の公式掲示板で意見を戦わせたり製作者にメールで推理した内容を送ったりという楽しみ方をする、言ってしまえば「メタ視点」の推理作品だったわけです。

 

当時話題になったフレーズが「正解率1%」。

プレイヤーたちによる推理の正解率が極めて低かった、しかし極稀に正解者がいたことから公式につけられたキャッチコピーです。

 

先にリンクを貼った「けものフレンズ」仕掛け人が語る記事で「100人に1人くらいが分かるくらいのコントロールが良い」という文章はまさにこの「ひぐらしのなく頃に」を思い出させるものでした。

 

しかしこれは非常に難しいバランスです。

 

以前、推理小説を読むときにページめくるのを止めて紙などに自分の推理をまとめる人は国内で2000人程度しかいないという話をどこかで読むか聞いたことがあります。

 

「名探偵コナン」や「金田一少年の事件簿」を読んだり見たりするときに犯人だけでなくトリックを深く考えたことがあるでしょうか?

 

僕は正直なところ1度もありません。

 

国内で2000人は言い方を変えると5万人に1人。

同い年の人の中で2,30人くらいしかいない計算です。

ちょっとわかりにくかったら年収2億円以上の人よりも少ないと思ってください(調べてみてびっくりしたのですが2億以上5億未満の収入の人が3800人くらいいるそうです。ちなみに1億円以上2億円未満は1万人以上います)。

 

そこまで割合が低いとさすがに人に届かない(=ヒットしない)。

 

現状推理小説はこの数字でわかるようにかなり閉じられたジャンルです。

 

何年か前にアニメ化された「氷菓」はその窓口を広げるのに「人が死なないライトさ」「高校生で青春もの」という別の切り口を強調することで成功しました。

 

「ひぐらしのなく頃に」の製作者もこの推理小説(ゲームですが内容的に)の弱点を本能的に理解しており、だからこそちょっとギャルゲーっぽい導入やキャラクターを置いたりして人を集めようとしたのだと思います。

 

しかしそれだけではまだ「推理もの」というジャンルを超えてヒットさせるには弱い。

 

そう考えたとき掲示板やメールで語られる推理に目をつけたのが「ひぐらしのなく頃に」の製作者である竜騎士07氏だったんだと思います。

 

ネットがあったからこそ、距離や時間を超えて議論が成立するのです。

 

「ひぐらしのなく頃に」ではおよそ半年ごとに新作が発表されましたがファンディスクを除いた作品数は全8本。

 

先に4本の「出題編」が発表され、「回答編」は後からの発表でした。

 

このプレイヤーを焦らせる「タメ」も作品のヒットに大きく貢献したと思います。

「出題編」と「回答編」を交互に出していたら同人ゲームから50話を超えるアニメ化は到底不可能だったように思います(同じ舞台で細かい条件がずれて4回別の事件が起きるのが出題編で回答編はそれぞれに対する真相が語られると思ってください)。

 

「出題編」で必死にした推理を「回答編」で答え合わせする。

さらに最初の「回答編」が出た段階で推理の方針を変えて考え直したり、正解した人の推理を読んだりする、それまでのオフラインではできなかったコミュニケーションがおそらくこのとき初めて発生しました。

 

「けものフレンズ」はこの「ひぐらしのなく頃に」の仕掛けを(意識的にせよ無意識的にせよ)応用して作中の仕掛けを作ったのだと思います。

 

12話という限られた話数は「ひぐらしのなく頃に」よりもさらに厳しいものですが、今は「ひぐらしのなく頃に」のときとは異なりTwitterや個人の考察ブログやまとめサイトも充実しており、なんとか「けものフレンズ」後半で人気が着火し11話で爆発したというのが今回のヒットの流れではないかと僕は考えています。

 

 

現代のコンテンツビジネスに必要なのは小規模チームによる機動戦

 

ここからはもっと生々しいお金の話です。

 

長く出版不況が叫ばれており、漫画雑誌の廃刊(IKKIなど)もしばしば目にしますし、アニメも話数が削減されたり賃金の安い海外に仕事が回されたりすることが増えています。

 

そんな中、「けものフレンズ」は非常に少ないスタッフ(10人程度だったそうです)でヒットを飛ばしました。

 

逆にソーシャルゲームの「けものフレンズ」はアニメ前にサービスが終了してしまう採算が取れない作品だったわけですがこの違いはどこにあったのでしょうか?

 

このヒントも「ひぐらしのなく頃に」にあるように思います。

 

「ひぐらしのなく頃に」は元々同人ゲームで極めて少ないメンバーによって作られていました。

文章と絵は竜騎士07氏が、プログラムは八咫桜氏が、後にBGM担当にdai氏が加わりましたが本当に最小限のメンバーです。

 

しかしメンバーが少ないということは経費が少ないということでもあります。

 

1000円の作品が1万本売れれば1000万円(実際には1万本も売るのはかなり難しいことですが)。

「ひぐらしのなく頃に」のようにコミケで売るためにDVDにプレスしたり、それ以外で今のスマホアプリのように売る場合はダウンロードサイトの取り分を引くと手元に残る売り上げはさらに少なくなります。

 

「ひぐらしのなく頃に」レベルのヒット作を年2本を出して、さらに製作者が3人という少人数の場合でも1人あたりが受け取る額は500万もいかないのです。

 

もっと制作人数がかかっていたら黒字にするのがかなり難しいというのが簡単にわかります。

 

アニメの「けものフレンズ」は少人数で作られたことは先に話しました。

 

ではソーシャルゲームの「けものフレンズ」はどうだったのか。

 

関係者でないので詳しいことはわかりませんが運営元のネクソンは「テイルズウィーバー」や「メイプルストーリー」で知られるゲーム会社。

 

従業員数は連結で5000人を超えており、ゲーム会社としてもかなりの規模をほこります。

 

そういった実績を背景にネクソンが開発・運営を任されたのだと思いますが逆に慎重すぎ、関わる人が多すぎることで経費が回収できずに終了したというストーリーが容易に想像できませんか?

 

「提督といっしょに創り上げていきたい」『艦隊これくしょん 艦これ』キーマン・田中謙介氏インタビュー【前編】 - ファミ通.com

 

上の記事だと「艦これ」の開発チームはコアメンバーが10人いない程度の小規模チームだということが語られています。

 

「Fate/Grand Order」が目指す,スマホ時代の新しい物語とは。奈須きのこ×武内 崇×庄司顕仁の3名に聞く,その狙いと手応え - 4Gamer.net

 

上の記事から人気のスマホゲー「Fate/GrandOrder」もサービスリリース当時は30人程度の開発チームであることがわかります。

 

もちろん会社の規模と各プロジェクトの規模は必ずしも完全に比例関係にあるとは限りませんが、おそらく一定以上は重なるところがあると思うのです。

 

昨今ブログやアフィリエイトで稼いでいる人が増えているのも、本質的には小規模で動いているため経費がかからず赤字が出にくい構造が根本にあるからではないかと感じています。

 

「小説家になろう」などに代表されるWeb小説が商業作品になるときも数年前までは知名度の低い出版社が版元になることが多かったのは印象的です。

 

作り手としては契約関連で不備があったり誤字のチェックなどがしっかりなされていないなど問題が起きることもあったわけですが、後発の出版社がミリオンヒットを出すのは(「ゲート 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり」など)普通の戦い方をしたら困難で、大規模な会社ではなく小規模のチームで動いたほうが小回りがきくのも事実です。

 

オタク系からちょっと離れると「ハリーポッター」シリーズの翻訳も「静山社」という翻訳者である松岡佑子さんがほぼ一人でやっていた小規模チーム(会社)だったと言うと分かりやすいかと思います。

 

 

それでも売れないことは悪であり、売れることは正義である

 

「けものフレンズ」は円盤(DVD・BD)をガイドブックにつけて売るという特殊な販売形態を取っています。

 

これは旧来のスポンサー資金に加えて円盤の売り上げ次第で制作費を回収するビジネスモデルがもう限界にきていることから編み出された一手であり、「作り手」というより「売り手」の必死さとリスクを取る覚悟が垣間見える箇所のように思えます。

 

そして、かなりきわどい部分にもなると思うのですが「けものフレンズ」にはある種のステルスマーケティングがあったように感じます。

 

鈴木みそ先生の漫画「ナナのリテラシー」であったような「売り手」が流れを作るために直接的でないにせよアンテナの高い人達に記事を書いてもらうくらいはあったのではないでしょうか?(あるいは書いてもらうために先の100人に1人の仕掛けを作った)

 

もっと言えば、「ガールズ&パンツァー」のときにレスラーの蝶野正洋さんが劇場版の応援大使になったりTVで「ガルパンおじさん」として出たのもこれと同じだと僕は思っています。

 

このあたりを敏感に感じ取った人々が「何か作られた気がする」とアンチになっている部分が一定の割合あるのではないでしょうか?

 

僕自身、10年前なら同じ感覚を持っていたと思います。

 

しかし今は少し違う見方をしているのも事実。

 

というのも、おそらく最近のステルスマーケティングは高度に発達した結果、宣伝を頼む人などが非常にコンテンツとマッチしており、もはやヤラセではなくなっているのではないかと感じているのです。

 

例えば剛力彩芽さんが非常に多くのCMに出演していた事務所のゴリ押し時期がありましたがこれはステマとするなら下手な例。

 

今のステルスマーケティングは後藤真希さんにモンハンのアニメ声優を任せる(そもそもゲームのプレイ時間が7000時間以上で有名)とかファンから見ても一定の説得力がある人選をして、結果としてもはやステマではなくなっているのではないでしょうか。

 

蝶野さんのガルパンの件に関しても震災後の大洗復興に役立ちたいという意志とか実際に作品を見てみたら面白くてハマってしまったとかそういう事情があるのだと思います。

 

回す方のノッブこと声優の島崎信長くんくらいまで突き抜けているとこれはまたこれで話は別ですが、おそらく優秀な「売り手」は今の時代それくらい消費者の目線に立って色んな手を考えています。

 

9巻がそろそろ出る、漫画編集部を描いた「重版出来!」の1巻でも「売れたんじゃない、俺たちが売ったんだ」というモノローグがあり、営業や編集、書店が一丸となってヒットを生み出したこのシーンが僕の言いたいことを上手く表していると思います。

 

ではどうして「売り手」の力を僕が以前より重視するようになったかというと、宣伝をする人がマッチするようになったということだけではないのです。

 

ここ最近、新世紀の名作ラブコメ「神のみぞ知るセカイ」の作者である若木民喜先生の新作「なのは洋菓子店のいい仕事」や超王道少年漫画「金色のガッシュ!!」の作者である雷句誠先生の新作「VECTOR BALL」、1話でめちゃくちゃ理系脳を刺激されたイチオシの新人の一人左藤真通先生の「アイアンバディ」など僕の好きな作品が相次いで打ち切りになりました。

 

「もう面白いだけでは駄目な時代なんだ」

 

そう感じる出来事が続いたのです。

 

もちろん面白い作品であることは前提に、その上でそれまである程度運に左右されていた部分をより「売り手」が考えて行かなければならない。

 

後からエンジンがかかる作品もある。作者が作品を通じて成長することもある。反対に面白い作品は最初から面白いと分かるというのも真実ではある。

 

でも、どんな作品も届かなければ意味はない。

 

売れなければ雑誌だけではなく、アシスタントに給料を払っている作家は作品を続けられない。売れれば続けることができる。

 

畢竟、売れないことは悪であり、売れることが正義である。

 

場合によっては先に挙げた「重版出来!」の作中で語られたように「単行本の引き」など作り手も協力しなければならない、そんな時代が来ているように思うのです。

 

そんなわけでアマチュアですが「作り手」の末席にいる僕は「売り手」って大事なんだなとか、もっと「受け手」に届くにはどうすればいいかとかを以前よりも考える様になりました。

 

好きだった高校の部活でアニメ制作する漫画「ハックス!」を打ち切りになった今井哲也先生が「アリスと蔵六」で今季いよいよアニメ化したことは応援してよかったと思うと同時に、編集部の方たち「売り手」も頑張ったのだなあと思いを馳せながら文章の結びとします。

 

読んでいただいてありがとうございました!